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吉岡知哉学長(立教大学総長)による祝辞 *2010年度~2017年度在任

立教セカンドステージ大学修了生の皆さんへ(2017年度修了式)

2018年3月22日
立教大学総長
立教セカンドステージ大学学長
吉岡知哉


立教セカンドステージ大学は本日、記念すべき本科生87名、専攻科生53名、計140名に「立教大学セカンドステージ大学修了証書」を授与いたします。

修了生の皆さん、おめでとうございます。

今年度の本科修了生の最年少は52歳、最年長は80歳、専攻科修了生の最年少も52歳、最年長は85歳です。30歳ほども年の離れた学生が共に学び、また、時に20歳前後の学生たちと机を並べるという知的環境は、現代日本において稀有であると言わなければなりません。

ご存知のとおり、立教セカンドステージ大学は、50歳以上というユニークな年齢制限を持つ生涯教育機関であり、「学び直し」と「再チャレンジ」のサポートを目的として掲げています。修了式という機会に、あらためて立教セカンドステージ大学における「学び直し」ということの意味を考えてみたいと思います。

近年、リカレント教育の必要性がしきりに唱えられています。昨年12月8日に閣議決定された「新しい経済政策パッケージ」では、リカレント教育は、人生100年時代の鍵とされています。この文書でリカレント教育がどのようにとらえられているのか、少し引用します。

「人生100年時代においては、これまでのような、高校・大学まで教育を受け、新卒で会社に入り、定年で引退して現役を終え、老後の暮らしを送る、という単線型の人生を全員が一斉に送るのではなく、個人が人生を再設計し、一人一人のライフスタイルに応じたキャリア選択を行い、新たなステージで求められる能力・スキルを身につけることが重要である。また、人工知能などの技術革新が進む中で、生涯を通じて学び直しを行うことが必要である。このため、国も多様な支援策を用意していく必要がある。」(「パッケージ」2-9)

この「新しい経済政策パッケージ」は、同じ12月に公表された「人生100年時代構想会議 中間報告」と連動しているのですが、「中間報告」では、さらに、キャリア教育の充実、大学と地域・産業界の連携、既存の大学以外の教育産業等の参入、リカレント教育の効果・メリットの「見える化」と人事採用の多元化、などが論点として上げられています。

先ほど引用した文章の中にも「学び直し」ということばがでてきましたが、リカレント教育と学び直しは、ほぼ同じ意味で使われています。

どちらの文書においても、リカレント教育、学び直しは、技術革新が加速する中で、社会人が自らの知識やスキルをアップデートし、より高度な職業能力を身につけるための開発課程としてとらえられています。個々の人間にとっては、これまで持っていたスキルでは現在の時代変化に追いついて行けないので、競争的環境の中で生き残るために必要な、新しい技能を身につけるための手段であると言って良いでしょう。

またここに、少子化が進行するなかで、従来のように新しい人材を豊富に利用することが望めず、また、新しい技術に合わせた能力開発を企業内で行う負担を軽減しなければならないという企業の事情を読み取ることも可能です。

各人に機会が与えられているということは、その機会を有効に利用するかどうかが各人に委ねられている、ということでもあります。この点は、「経済政策パッケージ」にもほぼそのまま使われている「中間報告」の以下の文章によく現れています。

「高齢者もひとり親家庭の方も、希望する教育を受けることができなかった方、自らの意志で高等学校や大学に進学しなかった方も、出産・育児等で離職した方も、就職氷河期に学校を卒業したフリーターや、ニート・ひきこもりの方も、病気など生活上のハンディを抱える方も、誰にとっても「いつでも学び直し・やり直しができる社会」を作るため、幾つになっても、誰にでも学び直しと新しいチャレンジの機会を確保する。」(「中間報告」p.12. cf.「パッケージ」2-9)

挑戦のためのチャンスが誰もに開かれていることは、もちろん望ましいことです。しかしそのチャンスを活かすことができなければ競争に勝つことはできないという競争原理自体に変化はないことも確かです。

ここまでお話しして、皆さんもお気づきかと思いますが、立教セカンドステージ大学が考える「学び直しと再チャレンジ」は、ここで言われている「学び直しと新しいチャレンジ」とはいくらか異なっています。

皆さんは、立教セカンドステージ大学に入学された時点で、既に半世紀以上の年月を生きてこられました。その間、企業や社会で豊富な経験を重ね、さまざまな知識や技能を身につけてこられたのです。

もちろん、立教セカンドステージ大学での学びを活かして、さらに自分の知識や技能をリフレッシュし、人生100年時代構想会議が言うように、例えば企業の中途採用にチャレンジする、ということも可能でしょう。

けれども、立教セカンドステージ大学は、第一義的には、ここに入学された皆さんが、それら蓄積してきた経験や知識、技能を、あらためてとらえ直し、考え直す場として、設計されています。1年間をかけて修了論文を仕上げる。それは、直接のテーマが何であれ、言語化というプロセスを経て、一人ひとりの個別の経験や知識、技能を、より普遍的な、より社会的なものへと組み換えていく作業です。それはまた、この世界のなかにおける自分の位置を認識し、自分の役割を確認する作業でもあります。

先程来、わたしは、昨年12月の「新しい経済政策パッケージ」と「人生100年時代構想会議 中間報告」に記されたリカレント教育、学び直しに言及してきましたが、面白いことに、かつては「リカレント教育」ということばはもう少し広い意味に使われていました。今から23年前、1995年に出された「平成7年度我が国の文教施策」の第Ⅱ部第2章「生涯学習社会の構築を目指して」第3節2「生涯学習時代に向けた大学改革―高等教育へのアクセス―」に、リカレント教育についての言及があります。このことば自体が新しかったためでしょうか、そこには[用語解説]の注が付されています。

「「リカレント教育」とは、「学校教育」を、人々の生涯にわたって、分散させようとする理念であり、その本来の意味は、「職業上必要な知識・技術」を修得するために、フルタイムの就学と、フルタイムに就職を繰り返すことである(日本では、長期雇用の慣行から、本来の意味での「リカレント教育」が行われることはまれ)。我が国では、一般的に、「リカレント教育」を諸外国より広くとらえ、働きながら学ぶ場合、心の豊かさや生きがいのために学ぶ場合、学校以外の場で学ぶ場合もこれに含めている(この意味では成人の学習活動の全体に近い)。なお、「リフレッシュ教育」は、「リカレント教育」のうち、1)職業人を対象とした、2)職業志向の教育で、3)高等教育機関で実施されるものであり、むしろ諸外国での「リカレント教育」に近い概念である。」

この注を読むと、この四半世紀の変化がわかります。「リフレッシュ教育」ということばはほとんど死語となり、リカレント教育の語がリフレッシュ教育と呼ばれていたもの、ここで言う諸外国での用法とほぼ同じとなっています。

では、立教セカンドステージ大学での教育はどうか。

この注の整理によれば、「心の豊かさや生きがいのために学ぶ場合」に近いように見えますが、いわゆるカルチャーセンターや教養講座とは大きく異なっています。むしろ立教セカンドステージ大学における教育は、伝統的な大学教育の核心部分をなす、リベラルアーツ教育であると言うべきでしょう。

そこで目指されているのは、人間が生きているこの世界を探究し、その世界への自分の関わりを知ることです。それはまさに、人間が人間であることの本質に根ざしており、人間が自由な人間であろうとする営みです。

そこから、学問そのものの楽しさ、学ぶことそれ自体の快楽が生まれているのです。それは、人間の知性の活動を、何かのための手段にしてしまうことによっては得られない快楽です。立教セカンドステージ大学は、そのような快楽を生み出し、快楽によって支えられている特別な場所なのです。

立教セカンドステージ大学で学んだ皆さん、

皆さんの知的活動の成果をぜひ積極的に社会へと還元し、皆さんの経験と知識・技能を次に続く世代へと受け渡してください。そして、学ぶこと、考えることそれ自体の快楽を伝えてください。

改めてお祝いを申し上げます。

立教セカンドステージ大学本科および専科の修了、おめでとうございます。

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