吉岡学長(立教大学総長)による式辞
立教セカンドステージ大学修了生の皆さんへ(2016年度修了式)
2017年3月23日
立教大学総長
立教セカンドステージ大学学長
吉岡知哉
立教セカンドステージ大学は本日、第9期本科生97名、第8期専攻科生41名、計138名に立教セカンドステージ大学修了証書を授与いたします。
修了生の皆さん、おめでとうございます。
立教セカンドステージ大学は入学年齢を50歳以上に限っています。皆さん方の多くは今から30年以上前、人によっては40年、50年前に学校という教育のための仕組みを一度卒業して、大学の外で社会経験を積み、その後立教セカンドステージ大学に入学されました。それから1年あるいは2年の学生生活を経て、いま再び大学の外へと踏み出そうとされています。卒業という機会にあらためて、なぜ立教セカンドステージ大学に入学しようと考えたのか、その当初の目的はかなえられたのか、入学以前と以後とで自分にどのような変化があったのか、考えてみてください。
このような問いを発するのは、立教セカンドステージ大学が、カルチャーセンターや公開講座と異なり、単に趣味を拡げたり知識を増やしたりすることにではなく、皆さんが大学の外で学び身につけたことを再度辿り直し、その経験を言葉にして、(やや大げさな言い方に聞こえるかもしれませんが、)歴史的現在としてのこの世界のなかに位置づけることに、自らの存在意義を置いているからです。立教セカンドステージ大学は、そのような辿り直しと言語化の過程が、一人ひとりの経験を人類の経験へと結びつけ共有化していくために不可欠だと考えて設計されているのです。
ここでひとつ文章を引用します。
「現今のやうに各自の職業が細く深くなつて、知識や興味の面積が日に日に狭められて行くならば吾人は表面上社会的共同生活を営んでゐるとは申しながら、其実めいめい孤立して山の中に立て籠つてゐると一般で隣り合せに居を卜して居ながら心は天涯に懸け離れて暮して居るとでも評するより外に仕方がない有様に陥つて来ます、是では相互を了解する知識も同情も起りやうがなく、折角かたまつて生きて居ても内部の生活は寧ろバラバラで何の連鎖もない、丁度乾涸びた糒のやうなもので一粒々々に孤立してゐるのだから根つから面白くないでせう、人間の職業が専門的になつて又各々自分の専門に頭を突込んで少しでも外面を見渡す余裕がなくなると当面の事以外は何も分らなくなる、又分らせやうといふ興味も出て来にくい、それで差支ないと云へば夫迄であるが、現に家業にはいくら精通しても又いくら勉強しても夫許ぢやどこか不足な訴が内部から萌して来て何となく充分に人間的な心持が味へないのだから已を得ない、従って此孤立支離の弊を何とかして矯めなければならなくなる」(*)(406頁)
ちょうど私たちの現在の状態を表現しているような文章ですが、これは夏目漱石が明治44年(1911年)に行った「道楽と職業」という講演の中の一節です。医学博士、文学博士、法学博士といった博士が自分の狭い専門領域以外は何も知らない、という話も出てきますが、それから100年以上経った現在、事態が当時よりましになったとは言えないでしょう。
漱石は講演の中で、このような弊害をあらためる方法として、文学書を読むことを勧めて次のように述べます。
「元来文学上の書物は専門的の述作ではない多く一般の人間に共通な点に就て批評なり叙述なり試みたものであるから、職業の如何に拘はらず、階級の如何に拘らず赤裸々の人間を赤裸々に結び付けて、さうして凡ての他の墻壁を打破するものでありますから、吾人が人間として相互に結び付くためには最立派で又最弊の少ない機関だと思はれるのです。」(407頁)
漱石はここで文学書に限って勧めているわけですが、そこに求められている機能は、より広く言えば教養すなわちリベラルアーツの機能にほかならないでしょう。
教養教育、リベラルアーツ教育は、伝統的に専門教育のための基礎科目としての要素が強調されてきましたが、近年ではむしろ専門的な知識、学問どうしの関係を把握し、人間的な知全体の中に位置づけるための技能として理解されるようになっています。同時にリベラルアーツは、一人ひとりの人間が、この世界における自分の位置と役割を知るための羅針盤の役割を果たすものであり、良き市民として社会の中に生きるために不可欠の教育的体系でもあるのです。
立教セカンドステージ大学は、創立以来リベラルアーツを教育の柱として来た立教大学の伝統を受け継いで開設されました。立教セカンドステージ大学で展開されているカリキュラムは、リベラルアーツが、一人ひとりの個人の知的活動を超えて世代から世代へと経験と知恵とを受け継いでいくための知の技法でもあることを示しているのです。
修了生の皆さん。立教セカンドステージ大学での皆さんの学びをぜひ積極的に社会へと還元してください。立教セカンドステージが目指す「学び直し」と「再チャレンジ」は、そのような還元過程を経ることによって、その本来の意義を持つことになるのです。
皆さんのこれからの活躍に期待します。
立教セカンドステージ大学修了、おめでとうございます。
(*)『漱石全集』第16巻。岩波書店、1995年。