吉岡学長(立教大学総長)による式辞
立教セカンドステージ大学新入生の皆さんへ(2015年度入学式)
2015年4月4日
立教大学総長
立教セカンドステージ大学学長
吉岡知哉
この春、立教セカンドステージ大学は、第8期本科生 96名、専攻科生 56名を、新入生として迎え入れます。
新入生の皆さん、入学おめでとうございます。
立教セカンドステージ大学が開校したのは2008年4月ですから、創立からまだ7年しか経っていません。
けれども、立教大学の起源は、1874年(明治7年)、アメリカ聖公会宣教師で、後に主教となる、チャニング・ムーア・ウィリアムズが、英学と聖書の教育のために、東京築地、今の聖路加国際病院のあるあたりに開いた小さな私塾「立教学校」にまで遡ります。
当時の日本は、「殖産興業」「富国強兵」をスローガンに近代国家形成に邁進していました。
「立身出世」が目指され、国家と産業を担う人材育成のために数々の大学が作られたのもこの時期です。
このように実利実益が優先される時代風潮の中にあって、立教学校は、ヨーロッパの大学の伝統である「リベラルアーツ」を柱とし、真理の探究と人間社会への貢献を使命として自覚する人間の育成を目指したのです。
リベラルアーツは、11世紀から12世紀にかけて、ヨーロッパで大学が誕生した時期に体系化された基礎的な科目群です。
「自由七科」とも言われ、文法、修辞学、論理学からなる言語系3科、代数学、幾何学、天文学、音楽からなる数学系4科によって構成されていました。
このうち、言語系3科は、真理のことばを理解するためのもの、そして、数学系4科は、神によって作られた被造物の秩序を理解するためのものである、と言うことができます。
天文学と音楽とが代数学と幾何学と並んでいるのは不思議に思われるかもしれませんが、天体の運動も音楽も、法則的で調和ある世界の秩序を形成していると考えられていたのです。
天体の運動が妙なる音楽を奏でている、という説をご存知の方もいらっしゃることと思います。
中世の大学では、学生たちは自由七科を学び、その後、神学、医学、法学といった専門学部に進みました。
リベラルアーツの科目内容はもちろん変化を遂げていますが、その伝統は現代の大学にも続いています。
アメリカの学部教育が基本的にリベラルアーツ教育で、学部を卒業した後に、ロースクールやビジネススクールで職業的な技能を身につけるという仕組みになっていることはご存知のとおりです。
戦後日本の大学教育は、アメリカのシステムを導入し、2年間の一般教育のあとに、3年次から専門科目を修得するという形をとりました。ここにおられる皆さんは、一般教育部や教養学部で、語学と人文・社会・自然の各分野、保健体育の科目群を履修されたことと思います。
一律に一般教養科目の修得を義務づけるという戦後日本の大学教育体系は、1991年、「大学設置基準の大綱化」と呼ばれる制度改正によって終わりを告げます。
大綱化によって、学部教育のカリキュラム編成がそれぞれの大学に委ねられることになり、多くの大学では教養課程が廃止され、1年次から専門科目を修得するというカリキュラムが一般的になりました。
その中で、立教大学では、大学における教養教育のあり方について、文字通り全学的な議論を重ね、教養科目群をそれぞれの学部の専門科目群と併行して履修する「全学共通カリキュラム」を、1997年から発足させました。それから20年を経て,リベラルアーツ教育を更に進化させるために、来年度からは、専門教育と教養教育、正課教育と正課外活動の区別を超えて、学士課程全体を学生の人間的成長のプロセスとして捉える、「学士課程統合カリキュラム」が始動します。
さて、立教セカンドステージ大学の入学式で、リベラルアーツと、その立教大学における意義についてお話ししたのは、立教セカンドステージ大学が、まさに立教大学の教育改革の中軸である、リベラルアーツの現代的再構築の一環をなしているからです。
先ほど、リベラルアーツが、真理を探究し、この世界の仕組みを理解するための科目群であると申しました。
リベラルアーツは、さまざまな専門知識の共通の基礎をなしていると同時に、個々の専門的知識が人間の知識全体のなかでどのような場所に位置づけられており、他の専門的知識といかなる関係をもっているのか、つまり、知識の意味を知るための、知識のための知識という性格をもっています。
そして、世界の仕組みを知り、個々の知識の相互関係を把握することは、とりもなおさず、自分自身を振り返り自分の知識の境界を意識すること、そしてさらに、世界全体のなかにおける自分の位置を知り、みずからの存在意義、役割を自覚することでもあります。
リベラルアーツという英語は、日本語に訳すと、「自由の諸技芸」、やや意訳すると、「自由人であるための諸技芸」という意味です。
ここでいう「自由」は、古代ギリシャ・ローマで言う自由、身分として奴隷や召使いではなく、自らが所属する政治社会の構成員つまり自立した市民が有する権利と義務、それを担う資格と能力を意味しています。
アテナイの市民であれば、アテナイの政治を担い、戦時には戦士として戦いに参加する権利と義務を有することが、ここで言う自由です。
このように考えると、立教セカンドステージ大学での「学び」がリベラルアーツである、ということの意味が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
グローバル化した現代において市民であるということは、世界市民であること、人類社会全体の行方に責任ある社会的主体であることを意味します。
セカンドステージ大学の学生である皆さんには、ただ単に新しい知識を身につけるだけではなく、半世紀に及ぶ自らの経験や知識を、再度問い直し、他のさまざまな経験や知識と改めて関係づけること、そして、そこで得られた新たな知見を、市民として、自分が所属する社会、そして全人類へと還元することが求められているのです。
皆さんのこれからの学生生活が、充実したものとなることを心から祈っています。
入学おめでとうございます。