修了生の声

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「本科での1年間はあっという間」

大箸 渡(8期生)

大箸 渡

40年以上続いた会社勤務からの卒業を前にして、どのように生きていこうかと考えていた時、大学の後輩からRSSCの紹介があった。興味を感じ、インターネットで調べてみたところ、自分の現在の状況(これからのことが何も決まっていない状況)に合っていると思い、応募した。入学してみて、感じたことは、①大学の雰囲気の良さ(素敵なキャンパス、図書館などの恵まれた設備)、②現役の学生の中を歩く時の、彼らと同じ時代にタイムスリップしたような感覚、③同世代の元気で、前向きな仲間との交流の楽しさ、④大学の先生達の専門分野の知識の深さ、⑤自分自身が今まで経験してきた範囲以外では何も知らないということ、⑥これからやることのヒント、切っ掛けを掴めるかもしれないという感触、であった。本科での1年間は、あっという間に過ぎてしまった。現在は、専攻科に進み、昨年1年間では十分に出来ず、やり残したことをやり、RSSC修了後にやることを探している毎日である。

「空洞を満たす『なにか』があるところ」

國田 千以子(8期生)

國田 千以子

私は22年間在籍した職場を定年前に退職し、先の見えない中で見つけたのが「立教セカンドステージ大学」の入学募集記事でした。
入学してからは、都心にありながら緑と花や紅葉が美しいキャンパス内で、コーヒーを飲みながら読書する心地良さを満喫しています。
本科で受講した当事者研究では、受講生同士が社交辞令のようなコメントではなく、本音や真実を直球で投げ合う刺激的な時間を共有しました。そして、その研究を通し仲間と共に成長できたような気がします。 また、RSSC独自のゼミ形式により、信頼できる仲間を得ることもできました。忌憚なく語り合い、素のままでいられる関係性ができたことは、とても大きな財産です。
仕事を辞めてぽっかり空いてしまった心の空洞は、入学後その空洞より大きな「なにか」で「充填」できたような気がします。
「求めよ、されば与えられん」 本科での日々はそう感じられるほど、本当に充実した1年でした。

「充実した貴重な1年間」

渡邊 圭司(8期生)

渡邊 圭司

私がRSSCのことを知ったのは定年が視野に入ってきた57~58歳の頃、出来ればリタイア後は改めて学び直しがしたいとも思っていた頃でした。
というのは、私の学生時代は授業にロクに出ず、試験は学園紛争のあおりで殆どレポート提出に切り替わり、そしてゼミにも入れず、卒論の類も書くことなく卒業したという正に名ばかりの卒業で、何か大学に忘れ物をしてきたような状態だったからです。
特にRSSCに惹かれたのは、他の大学には無い1年という期間で自分の学びたいことが学べ、学部生に混じって授業も試験も受けられ、またその間には様々なイベントが散りばめられ40年前に戻ってキャンパスライフが楽しめそうで、そして何よりも全員がゼミに所属して修了論文が課せられる、という私の学生時代にやり残したことができることでした。
この1年間を振り返りますと最後の論文には苦労もしましたが、本当に「あっ!」という間に過ぎてしまった感があり、思い描いたことがそのまま実現できた、これまでの人生の中でも大変充実した貴重な1年間だったと感じています。

「立教セカンドステージ大学とわたし」

杉山 慶子(8期生)

杉山 慶子

一年間の立教セカンドステージ大学は刺激的な“お祭り”でした。祭りは終わり以前の生活に戻っています。表面的には何も変わらない私の生活ですが、中身はずいぶん濃くなったように思うのです。
一枚の織物に例えるならば、立教に通う前は家族との生活や仕事、趣味の野菜作りなど縦糸ばかりで横糸があまりありませんでした。多文化共生、経済、歴史、心理学など今まで関心を持たなかった勉強は多くの横糸になりました。そして、複雑な織物を織りつつあります。
また、知的好奇心に満ち溢れた友との出会いは一番の刺激であり収穫でした。修了論文を仕上げていく中で、お互いに素の自分をさらけ出しあい、信頼できる手ごたえを感じていったのです。六十歳を過ぎて、こんな素敵なお祭りがあったのは望外の喜びでした。

「RSSCゼミの妙味」

岩熊 徹(8期生)

岩熊 徹

RSSCにはゼミがある。そこには、年齢も幅広く、これまでの人生経験も多種多様、いわば縁もゆかりもない人々が十数名集められる。修了論文作成が主要課題ではあるが、各々そのテーマはまちまちであり、ゼミの担当講師の方の専門分野とも異なることが多い。一体これは何のためのゼミなのか、入学当初は疑念を抱いたものであった。
しかし、論文の検討だけでなく、自主研究や課外研修の策定・実行、またゼミ後の飲み会など、週一度のゼミ集合を重ねる中で、その疑念は消滅していった。ここは各々の価値観や意思、生活背景などが様々な人々が集まり形成する、ある種新たなコミュニティの場だと言えることに気づかされた。
自分も含め、これまで企業や団体など「組織」という集団の中で行動することが多かった者にとって、利害関係は存在せず、競合意識の必要もない人々の集まりであるRSSCゼミは新鮮であり、かつまた今後の人生にとっても有益なコミュニティ体験ともなるだろう。これぞRSSCゼミの妙味であると思う次第である。

「鈴懸の道を歩いて」

金児 洋子(8期生)

金児 洋子

GW始まりの立教構内は学生の姿も疎らで、緑濃くなった鈴懸の道を通り、私は図書館に向かっている。
専攻科生のレポート作成?ではなく、他大学の通信教育過程のレポート作成の為である。
昨年の今頃、RSSC本科生になった。ゼミで初顔合わせをしたものの、顔と名前が少しも一致しない。でも、従前からの同級生のように、挨拶を交わして一緒に歩いた。
学習の目的と方法は千差万別であるから、大学生として学校に通わずとも、専門書を紐解き自宅の机上で、又は、今はやりのスタバ・オンデマンドでも、得たい知識の入手は可能である。自己に意欲があればの話しだが。
RSSCに入った時、ちょっと鼻高々があったのは否めない。“大学での学習と修了”は確かに周りへの響きが良い。しかし、修了生となった今、一年間共に過ごした同級生達はそれぞれ進む道を違えたが、代えがたい記憶で心の中にいる。

「二度目の学び」

佐塚 直孝(8期生)

佐塚 直孝

六十歳で定年を迎え、これからどうしようかと考え始めたのが三年前。のんびりしていると言われるかもしれないが、あまり実感がなかったせいでもある。あらためて振り返ってみると、仕事に関わる環境の中でだけ過ごしてきたように思えた。すると自らの興味の赴くまま、いろいろ調べてみるような事がとても魅力的に見えてきた。この様な場合、大学は各分野の先達に事欠かず非常に活用のしがいのあるところだ。さらにRSSCの一年間で予想以上の収穫だったのは、様々な経験を経てきた仲間たちとの交流が非常に楽しかったこと。刺激を受けことはもちろん、自分からも何か発信しようという気にさせられた。再びこのような機会を得られた事はとても有り難いし、大切にしたいと思っている。そんな訳で今年から大学院に進んだ。今は去年以上の課題に苦しんでいるが、教育の場なので失敗も勉強の内と割り切っている。実社会ではこうはいかない。さて、この先は?もう一度社会に復帰しようと考えているのだが。

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